家族みんながよく生きて幸せになる社会 

自分の人生の棚卸し 

東日本大震災が起きてから5年の月日が流れました。

あの時、「私って一体、何ができるの?」といろいろ悩み、

自分の人生を振り返りました。

1959年に福島県いわき市に生まれ、そして高校生まで過ごしました。

将来、専門職に就き、働く女性を目指したい!と思った私は、埼玉県の短大へ進学しました。

卒業後、臨床検査技師として、東京都内の病院で7年間働きました。

超音波検査の仕事は、やりがいがありました。

でも、残業や当直がある職場で 結婚しても働き続ける」ことは

難しいことだと思っていました。

そんな私は、結婚を機にいわきへ戻りました。

結婚後、二人の息子を育てながら、社会参加をしたかった私は、

非営利文化団体「いわきおやこ劇場」の事務局で働きました。

子どもが中高生になった頃には、放課後児童クラブの指導員として働き

子どもに関わる仕事が面白くて、約10年間続けました。

そのうちの2年間、せっかく持っている資格を生かしたい!という想いを

捨てきれず 再び臨床検査技師として検診センターでも働き、

ダブルワークをしました。

日進月歩の医療現場を20年間離れていた私・・・

新しい検査技術に対して、スキルアップされていない状態で働くことの難しさを感じました。

この時、働き続けるこそ、専門職の資格が生かされる、つまり「継続は力なり」だと思いました。

自分の人生を振り返ってみて、これから、私はどんなことをしたいのかな?

と考えたとき「継続は力なり」だからこそ、働き続ける女性を応援したい!という想い。

放課後児童クラブで指導員をしながら、将来自宅で少人数の放課後児童クラブができたらいいなあ!と思っていたこと。

働きながら母親や義父の介護をしている時、震災後いろんなことが不安でいっぱいな時

放課後児童クラブの子どもたちの元気な声、そして笑う声にどんなに救われたことか。。。

「子育て支援起業講座」で自分の棚卸しをしていろんな想いに気づきました。

自分の現状を見つめて、いいことばかりでなく、不平・不満も付箋に一つずつ書き出す

作業をし、「じゃあ自分はどうしたいの?」と問い自分の気持ちや考えが整理されていきました。

そして、自宅で少人数のお迎え付き夜間保育「正月町おうち保育園®」を

開業しようと決めました。

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家族みんながよく生きて幸せになる社会

これが、正月町おうち保育園®のコンセプトです。

「50才になった時、60才になった時、あなたはどんな私を思いますか。」

この言葉は、認定NPO法人あっとほーむ 代表の小栗ショウコさんと

田中聖華さんが書かれた本

「だれもおしえてくれなかった ほんとうは楽しい仕事&子育て両立ガイド」

の一文です。

自分らしく生きるために悩み、目標にむかって進んでいくことに

年齢の区切りはない。

知力、体力的に衰えを感じながら、でも今の自分にできることをやりたい。

そして、よく生きて、なにより私自身が幸せでありたいと思いました。

子ども、ママやパパ、おばあちゃんやおじいちゃん、みんなが自分らしく

のびのびと機嫌よく生きていけたらどんなに幸せだろう!

少しでもそんな風になれるように、私は働きながら子育てしている

ママやパパたちを保育の分野で応援します。